2010年02月12日

公教育と私塾の差

だんだん、言論プラットフォームとして面白くなってきたなぁと感じるアゴラですが、コメントしたくなった論争があったので、ちょっとコメントしておきます。

以前に塾講師として勤務していたときに、なぜ公教育の他に私塾が存在して、そしてそこに生徒が集まるのか、ということについて考えていた時期がありました。これは、当時勤務していた塾の生徒が通う中学校の教師が、PTAの場で「塾には通わせないでほしい。当該教科の新単元に入った時の驚きがなく、知的興奮が妨げられる。」という趣旨の営業妨害の発言があったそうで、それを親御さんから教えていただいたときに、自分のやっていることのレーゾンデートルを確認するために自己問答していた話を思い出しました。

まず、松本さん(僕と同じ名字ですね)がイタリアの友人との会話ということで次のように述べられます。

教育の改革は火急の問題|松本徹三
http://agora-web.jp/archives/915751.html

息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。それもその筈、「子供を塾などに通わせるのは間違っている」という考えから、塾に通わせるなどの受験の準備は、全くやっていなかったからです。
とはじまります。僕としては、実はもう、この段階で意味不明なのですが、もうちょっと引用します。
今、このご夫婦は、「塾に行かせなかったのは本当に正しかったのか?」と、真剣に悩んでいるのです。
彼等と話しているうちに、私も、考えれば考える程、日本の「塾システム」の馬鹿々々しさに気分が滅入ってきました。このイタリア人の友人は、「負け惜しみで言うのではないけど、こういうシステムで教育された日本の若者の『国際社会での競争力』は、必ず落ちていくと思うよ」と言っていましたが、私もそう思います。
日本の塾システムは、学校でやっているのと同じ教科を、ほぼ同じ目的で、並行して教えるシステムです。欧米人には、これは全く理解できません。もし本当に それが必要なのなら、「現在の学校での教育は有効に出来ていない」ということなのですから、「それなら、学校での教え方そのものを変えなければならない」 と考えるのが当然だからです。
ここまで読んで、松本さんが言いたいことがやっとわかりました。塾というところが「学校でやっているのと同じ教科を、ほぼ同じ目的で、並行して教えるシステム」だと誤解している(と僕は断定する)ところに気がつきます。

僕の反論よりも先に、アゴラで反論している方がいらっしゃるので、そちらを引用しておきましょう。

難関私立中学に楽して入りたいとは、呆れた話ですね|井上晃宏
http://agora-web.jp/archives/916510.html

松本徹三さんのご友人の「疑問」を要約すると、こういうことになります。
「息子に中高一貫校に行かせたいが、そのためには、入学試験を突破しなくてはならない。しかし、入学試験の内容は、塾に通わなければ解けないような内容である。これはおかしい」
ご友人には、こう忠告すべきでしょう。
(省略)
2.サッカーで遊びながら、中高一貫校に行きたいなら、非常にイージーに入学できる私立中高一貫校はいくらでもある。なぜそこへ行かないのか?模試偏差値30で50%合格という学校なら、ほとんど誰でも入れる。
松本さんの話で最初に引用した「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」というのが「偏差値の高い難関中学」ということを指しているのか否かで、論点がずれてしまっていますよね。
「良い」というのが曖昧な表現だからいけないのでしょうが、偏差値が高くなくとも「良い」中学校はあります。だから、単純に中学校のことを調べてないだけなんじゃないのか、と思うのです。(思い込みだけで文章を書くのだったら、イタリア人の友人だと尚更、何も調べてなくて、誰かの聞き売りで、あそこの中学校に入れたい、って言ってるだけじゃないのか、と思っちゃいますけど。)

もっと言ってしまえば、塾という存在を否定されていますが、そもそもの公教育が目指しているのは何なのか、ということに尽きるのではないでしょうか。

どちらかというと公教育は最低限これだけは知っておかなければならないという社会要請を保証するシステムであればいい、と考えています。それ以上に知的探求心を極めたかったり、社会に出る前に専門的な知識を得たい、ということに対して、大学などの高等教育が存在するわけですから、それは別個に語るべきことでしょう。

そういう前提で、塾というのは、最低限のレベルで教えていても、落ちこぼれてしまう生徒を拾い上げる目的の塾もあれば、そのレベルでは満足できない生徒に対して、さらに知識を与える目的の塾もあるのだと思うのです。もちろん、受験テクニックを中心に教える塾もあるでしょう。それは、その塾の目的が入学試験に合格することなのであって、その目的に合致した生徒が通うわけです。それはそれでニーズがマッチしており、口をはさむ必要はないと思うのですが、いかがでしょうか。

それとも塾に通わなければ解けない問題しか出さない私立中学がおかしい、という話でしょうか? 突き詰めて言えば、そういう私塾と私立中学のセットコースが嫌だというのならば、他の選択肢もあるはずなのですが、どうして、私立中学合格には塾が絶対必要だ、という話になってしまうのでしょうか?

公教育が担う「社会人としての最低限の知識」を学ばせる、子供のソーシャライゼーション(社会化)に、何かを加えなければ海外との競争に負けてしまうという話と、個々の生徒の状況に合わせ、ニーズが無ければ生徒が来ない塾は社会的に不要だというような話は、どうも食い違っているとしか思えず、反論したくなります。

公教育の問題点は多々あるかと思います。僕が受けてきたころは1クラス40人位で、その頃の先生は「本来25人位で教えられれば、きめ細かく教えて落ちこぼれを出さずに進められる」とおっしゃっていましたが、今では、1クラス20人に先生が2人もいるような状況でも落ちこぼれてしまう子がいるのは、いったい何なんだ、という話だったりするのが気になって仕方がありません。

去年話題になった全国統一の学力テストで、生徒の学力が全国平均以下ならば、全部契約社員に降格し、新しく教員免許を取ってきた大卒の人間と同様、再試験で継続雇用にするか否か判断する、というくらい、自分の身分に危機感を持たせないと、どんどん先生の教授レベルの質が下がってくるんじゃないかと考えています。あの学力テストを反対していたのは、先生と呼ばれる人たちが、自分の教授レベルを客観的に判断されるのを恐れて公開拒否していたとしか思えませんし。
せめて同一県内でも学校別に成績を比較し、給料に差をつけるくらいのことをしたほうがよほどマシです。これならば公開する必要もないですしね。

公教育の在り方については、もっともっと議論を進めていきたいテーマの一つです。ぜひ活発に議論が進むことを楽しみにしています>アゴラ


dmatsu2005 at 06:20 
政治経済 
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痩せないと死ぬよっていう宣告を受けてしまったので、ダイエットに目覚めたプログラマー(約95kg)

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